本来目指すべき・・・『日本の住文化』とは何か?
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 少子化する世界を迎えて、これから地に根ざす住宅を持とうという方々が、徐々に減少の一途にあります。
「これからは、否、以前からも間違いなく、着実に後世に残すべき建築物を設計し、各人が継承していくことができる。」というのが必要十分な条件であるはずなのですが・・・。
  現在、まだ新築され続けるそのほとんどは、四半世紀前後のものばかりで実際のところ、
戦後建築は存続していて当たり前なはずです。ところが現実的には2,30年も経つか経たない内に、取り壊されていく建築物もあります。これは儚くも悲しい現実・・・。もう一方では一世紀以上も経って改築されながら存続し続ける建築物もあります。これらの違いは何に起因しているのでしょうか?
もちろんそれら建築物を所有している方、地域にも依るでしょうが、物理的問題もあれば、他の問題に因ることもあるはずです・・・。
ともあれ、建築されて代々受け継がれれば後世にも確かな歴史文化継承にもなるでしょうけれど・・・。

  はてさてどうして、建築は建築家が設計し、施工されるかというとそうでもありません。住宅等は棟梁を長とし、建てていく工程もあるわけです。最近は身近にはあまり見かけなくなってきましたが、かつて、日本の建築の長は大工の『棟梁』だったのです。
いつの間にかその坐が〈建築士〉に取って代わられたかのようになってしまいました。
がしかし、工務店、建設会社や住宅メーカーはその長としての役目をどこまで全うしていることでしょうか?
かの異能現代棟梁『田中文男』さんはこのように言っています。
「 〈大学は引頭や長つくりをスポイルした〉人つくりをするなら、私は、〈単に仕事だけを覚えたという大工じゃなく、人間に堅実で、信頼できる器量をもった、肩書きだけの大学卒の建築家を凌駕する技術者を作りたい〉」と・・・。
確かに、ごもっともと思ってしまう自分がつらいですがこれは現実です。

 なんびとも、建築士は学問を勉強して取れますが、大工の棟梁となると一寸やそっとでは、なることはまかならぬ・・・のが現実です。
氏の本で「人の棲む小屋を造るは『伝承技術』物差しが無いと造れないのは『伝統技術』」と言ってます。確かに〈八世紀のつくば市の平沢官衛遺跡の倉庫で当時の一尺は二百九十五ミリ。これが九世紀になると三百ミリを超えてくる。〉物差しを使えば確かにこうなるというのが良く分かる。つまり、小屋は手作りで寺社建築はシステム化した伝統技術ということです。そしてそれらの伝統技術を『匠明』巻物五巻に『門・堂・官・殿・屋・塔』の木割りとして書いているそうです。
  大工の型とは〈世の動きに準じ自ら創り上げる。型は己にあり、先人の造りしものを調べ己の独創性を発揮すべし〉要するに、世の中をしっかりと見つめ肥して自身の手で先人を経験して、己の独創性と融合させることが棟梁の『型』というものなのでしょう。このように元来、日本には建築文化の伝統というものを身をもって呈している方々がいるということです。